一昨年の秋は日本中が熱狂しました。ラグビーの街、釜石の鵜住居復興スタジアムも好ゲームでした。思い起こすと、大会前から徐々にムードが醸成されました。大泉洋さんが好演するドラマを契機に、興味をもった方が多かったのではないでしょうか。大手企業のサラリーマンが東京郊外の工場に左遷され、縁のないラグビー部のGMを兼務する中で低迷するチームを再建し、さらには自身の再起を図るストーリーでした。米津玄師さんが番組のために書き下ろした楽曲が、各回のエンディング場面の感動量を最高潮にしました。主人公が逆境と対峙する気持ちを上手に表現するテーマソングのタイトル、なぜだか「馬と鹿」です。この2種の動物に関する、驚くほど振り切れたエピソードが揃っていることから、いわてを紹介する本連載にいつか登場させたいと思ってきました。

いわては、古くから名馬の産地と知られ、馬や金を巡りヤマト朝廷の侵略を受けたとされます。信長が鉄砲隊を結成するまでは、騎馬の機動力こそ軍事の要だったはずなので理解できます。重要な交通手段でもあったので、現代の自動車工場にも該当します。既にアテルイ時代に馬牧場があったようですし、武士の時代には命を預ける馬には特別な値打ちがつき、山内一豊の妻の内助の功の話が有名ですね。そもそも領主・藩主となった南部家は鎌倉初頭に、後に武田騎馬隊で名を馳せる甲斐から移封してきました。育成に力を注いだ在来種の「南部馬」は、全国の強者の憧れの的だったそうですが、明治政府の方針で外来種との交配を進めたため純血種が絶滅し、かろうじて明治天皇の御料馬の模型で容姿を確認できます。何もこのような名馬に留まらず、農耕馬との密接な生活は、L字型の「南部曲り家」を見れば一目瞭然です。馬と一つ屋根の下、家族同様の生活です。西洋式競馬は国内3番目の早さで県南の水沢で開催され、「チャグチャグ馬コ」(鈴の音を響かせながら装飾した馬が14キロも長列で練り歩く(現在))の様な農耕馬の感謝祭が200年も続くわけです。県北や遠野には馬肉の生食文化もあります。1000年以上も、馬こそ地域の主力産業かつ、生活必需動物であったわけです。

ところで、鹿についてはどうでしょう。際立つのはむしろ「別」の側面です。いわてをドライブすると、山道で鹿に遭遇することがあります。普通の鹿ならゴルフ場でも見かけますが、よく見ると体型が違う。なんと、特別天然記念物の「カモシカ」ではないですか。車を止めその姿を眺めるうちに、独特のオーラから「シシ神」だあ、って何か神々しい気分になります。あまりにも体型が普通鹿と異なるので調べてみると、ニホンカモシカはシカがついても鹿ではなく、ウシ科の生き物のようです。「カモシカの脚」はどう考えても褒め言葉にはなりません。JR盛岡支社の報告によると、列車の動物との衝突による運行遅延回数は、何と年平均400件にも及び、その8割が鹿、1割がカモシカで、全体の9割(360件!!)を占めるそうです。遅延しない衝突を含めたら一体どんな回数になるのでしょうか?ガッキーの映画ハナミズキの世界が毎日どこかで起きている。侵入防止ネットを10キロメートルにわたり張り巡らしたり、シカが嫌な臭いを散布したりと、シカとJRの格闘は止めどなく続きます。ちなみに、この忌避剤は「ライオン」の糞から抽出した成分で、岩手大学の先生が乾燥した糞1キロから100L抽出することに成功したそうです。糞を撒いた地点の運行障害が激減したそうです。どうしていわてのシカが見たこともないライオンの匂いを嫌がるのか、疑問が尽きません。余談ですが、以前JRの方から伺った話では、相手がカモシカの場合は報告処理がとても煩雑だそうです。きっと、カモシカの管轄が自治体の「教育委員会」だからで、国宝から稀少動植物に至るまで、文化庁や教育委員会が保護することで法制化されているようです。一つ謎が解けました。

愛すべき教室員を紹介したいと思います。昨年から週末に奥さんの実家に通い、畑を借りて農作物を育てる者がいます。働き方改革の時代、こういう+αな生き方も重要だと感心し、農業の話を頻繁に聞くようにしてきました。良く「おがっています」と好調な様子でしたが、秋の収穫時期に肩を落としていました。「先生、シカにやられました。。。」。今年は鹿ネットで対策するそうです。きっと長い闘いの始まりでしょう。こんど三陸沿岸に出向する者が、運転が嫌だなあ、シカがって言うのです。かつて、シカとぶつかって車を全損しました、それは大変だったなあ、とやりとりをした者がいたことを思い出しました。そこで気になって尋ねてみると、少なくとも教室員の7名に衝突経験(2名が廃車、5名は車体凹み、幸い怪我なし)がありました。大船渡や釜石に勤務したものが延べ30人ほどいたと仮定すると、何と2割強がシカとぶつかった計算になります。急ブレーキで間一髪難を逃れた米津さん似の教室員は、ここにはカウントされていません。夜間に呼び出される場合、冬は凍結路面のスリップ、それ以外はシカ衝突という、恐ろしいリスクを負いながら急患対応に駆けつける実情が分かってきました。この頻度ともなると、もはや危険手当を、と言う話しですね。とにかく気を付けて欲しい。ちなみに聞いた話から夕方の大船渡病院周辺の光景を自分なりに想像すると、さながら海の見えるリトル奈良公園です。

「これが愛じゃなければ、なんと呼ぶのか、ぼくは知らなかった♫」、という歌詞がピッタリ当てはまる、教室員たちのエピソードです。

 

 

ニホンカモシカ

大船渡病院のレジデントスクラブ姿の慎Dr

袖のロゴ(バンビと心電図)