循環器内科医としてのステップアップを目指して

岩手医大を卒業後千葉県鴨川市にある亀田総合病院で初期研修を行いました。初期研修終了後、同病院にて後期研修医として循環器内科のキャリアをスタートさせました。循環器内科として働き始めた当初は、日々の業務、勉強に追われる毎日でしたが、その中で、循環器の基礎知識、病棟管理、カテーテル技術を修得することに励みました。おかげで多くのことを学び、成長することができました。循環器内科をはじめてから3-4年が経った頃、今後のキャリアアップを考えるようになりました。どんな仕事を、どこで、誰とやっていくかということです。当時の職場ではまだ導入されていませんでしたが、当時全国でTAVIが始まり数年が経過し、興味を持っていました。TAVIだけでなく、新しいデバイス治療が海外で開始され、国内にも導入されており、新しい治療に携わりたいという漠然な思いがありました。新しい治療が導入される国内の病院は限られており、いわゆる「ハイボリュームセンター」で仕事がしたいと考えました。そんな時、とある勉強会で偶然、まだ面識がなかった森野教授と話ができました。その頃、自分にとって、出身地である岩手に戻り、次のステップへと進むことは難しい決断ではありませんでした。

期待通りの環境で最新医療を

6年ぶりに岩手に戻りましたが、戻るといっても岩手医大循環器内科スタッフとは面識がほとんどなかったため、はじめは大きな不安がありました。しかし、働き始めて間もなくその不安は払拭されました。一緒に働く仲間が、優しく受け入れ、最初から働きやすい環境を作ってくれていたからです。入ってみて分かったのは出身も大学も様々で、とてもアットホームな場所が作られていることでした。異なる環境で仕事をしてきた医師が岩手で新たに手を取り合うことは素晴らしいことだと思いました。

岩手医大に入職した時、新しいデバイス治療に携わりたいという思いがありました。その時から現在までに、経カテーテル的大動脈弁留置術 (TAVI)は適応が拡大され、経皮的僧帽弁クリップ術 (Mitra Clip)、左心耳閉鎖術 (Watchman)が始まり、経皮的補助人工心臓 (IMPELLA)も使用が可能になりました。当初期待していた通り、多くの治療に携わりながら仕事ができていると実感しています。循環器医療の進歩は目覚しく、私たちはそれに併走し続けています。まだまだ発展途上ですが、今後多くの仲間と共にこの環境をさらに発展できるように邁進していきたいと考えています。

二宮 亮

医局員 キャリアモデル 海外留学

私は幸運にも2015年から2年半、米国Los Angeles, Cedars-Sinai Medical Centerに行く機会を得た。

医師キャリアの中で多くの人が海外留学をする、もしくは考えていると思われる。なぜ留学するのか、1番の答えは環境を変え新しい何かを得るためと私は考えている。留学をする事で得られることは非常に多くあるが、何をもとめ、何を得るかはその個人によって様々であろう。特に海外へ出る事は、日本では経験できない事をすることと、全く違う価値観を体験する最高の機会であり、その後の人生の大きな糧になると信じている。

私の留学先のCedars-Sinai Medical CenterはLos Angelesのほぼ中央にあり、市中病院であるが基礎研究から最先端の臨床まで幅広く行っている施設であった。循環器分野でいえば古くはスワンガンツカテーテルの開発から急性心筋梗塞のForrester分類を提唱したForrester先生が今でも現役で仕事をしている病院で、最近では心臓移植や構造的心疾患の各種治療を米国で最も多く行っていた。

自分自身は留学前には冠動脈を中心とするカテーテルインターベンションを中心に行なっていたが、構造的心疾患のカテーテル治療を学ぶために海を渡った。様々な国から様々な形で人を受け入れている施設であったが、私の立場は王道ではなく教授のつてで病院に潜り込んだというのが正しいだろう。

まずは初めての街、病院の環境になれる必要があり、日本の社会や病院で当たり前だと思い込んでいた物事が全く違うことの毎日であった。海外の施設では見ず知らずのよそ者を信用したり求めたりする人は誰もおらず、お互いに使えるもの、使える人を利用するような関係がほとんどである。そのため職場に溶け込むことが最初の仕事であり、その方法は「周りに迷惑をかけず邪魔にならないように目立つ」である。医師はもちろん、研修医、看護師、技師、事務員、掃除のおばちゃんまで、みんなに笑顔で挨拶をする、雑談に参加しコミュニケーションをはかる。自分が何をできて何をやらせてもらえるか、自分を信用させ仕事をもらえるように振る舞い、そしてChanceが来たときには逃さず乗る。思い通りにならないことが多いが、Negativeな姿勢を出す人や影で愚痴を言うことはCreativeなものには繋がらず、機会を自ら断ってしまう。多様性のある解釈の中で、明確な理由づけをして説明することで初めて自分の意見を聞いてもらえるようになる。多くの価値観や考え方に触れることで、同じ出来事をうまくPositiveに捉え、そして発信してく必要性を経験した。

海外では結果が全てと言われるが、さらに人間性、人間関係が重要でコネも必要である。中々芽の生えない時を過ごした後に、幸運にも病院の正規の立場を作ってもらった。上司と共に多くの医師、開発者、メーカーなどとディスカッションを行う機会を持つことができ、新規のデバイスの開発や手技のトレーニングなどにも携わることができた。その甲斐あって、日本に帰国したのちにも様々なコミュニケーション、新しいデバイスや情報に触れる機会に恵まれている。

帰国後の最低限の仕事として、日本に、岩手に私の学んだデバイス治療を導入し根付かせること、これは現在進行形であるが確実に実を結ぶものと信じている。
留学自体がうまく当たるか当たらないかは終わってみるまでわからないが、間違いなく新しい何かを得るChanceである。自分自身が目標とする画一的なモデルはないが、Chanceが来た際にやりたいことを行える準備をし、興味を持てたことに飛び付ける勇気を養い、それを最大限に広げる努力をすることがHappyな人生の送り方だと思う。その1つの道として海外留学は有益な選択肢である。

最後にこのような機会を与えてくれた、教授、医局の皆様、Cedars-Sinaiの皆さんに感謝している。

中島祥文
内科学講座循環器内科