スタンフォード大学留学を経験して

ピーター・フィッツジェラルド教授と
研究室のクリスマスパーティーにて

2014年から2年間スタンフォード大学循環器科へ留学させてもらう機会を得ました。それまでは、大学病院と、関連病院を交互に勤務していた時代が12年ありました。以前より冠動脈イメージングには興味があり、大学院でIVUS関連の題材で研究した事を契機に、森野教授が当医局へ教授として着任されて、教授の留学体験を拝聴した事で留学の話が具体化しました。
スタンフォード大学はご存知のとおりカリフォルニア州のシリコンバレーの中心エリアにある有名校で、付属病院は多臓器移植を行なっているため、心臓移植も年間数百例を誇り循環器領域にも特化している大学です。その中で、ピーター・フィッツジェラルド教授、本多康浩教授が所属する冠動脈イメージング解析を主に行っている教室で研究させてもらいました。

日本から留学する道として、企業の奨学金を取得して年1名ずつ渡米する方法が可能ですが、私は選考に落選してしまい奨学金を取得する事が出来ませんでした。しかしその後、教室に関連する国内の研究会に参加したり、海外学会の際に教室を見学に行かせて貰う事で教室との関係性が深まり、留学を受け入れて貰える事が可能となりました。

2014年から2年間スタンフォード大学循環器科へ留学させてもらう機会を得ました。それまでは、大学病院と、関連病院を交互に勤務していた時代が12年ありました。以前より冠動脈イメージングには興味があり、大学院でIVUS関連の題材で研究した事を契機に、森野教授が当医局へ教授として着任されて、教授の留学体験を拝聴した事で留学の話が具体化しました。
スタンフォード大学はご存知のとおりカリフォルニア州のシリコンバレーの中心エリアにある有名校で、付属病院は多臓器移植を行なっているため、心臓移植も年間数百例を誇り循環器領域にも特化している大学です。その中で、ピーター・フィッツジェラルド教授、本多康浩教授が所属する冠動脈イメージング解析を主に行っている教室で研究させてもらいました。
日本から留学する道として、企業の奨学金を取得して年1名ずつ渡米する方法が可能ですが、私は選考に落選してしまい奨学金を取得する事が出来ませんでした。しかしその後、教室に関連する国内の研究会に参加したり、海外学会の際に教室を見学に行かせて貰う事で教室との関係性が深まり、留学を受け入れて貰える事が可能となりました。

教室での身分としてはいわゆるポスドク(Post-doctoral fellowの訳)として採用される事となりましたが、9・11のテロ以降、留学生のJ1ビザ取得の規定が厳しくなり、第3者機関から研究費や奨学金を十分に獲得していないとビザが取得出来ないという状況でした。そのため、留学前の準備として取得可能な奨学金などにあらかじめ応募したり、研究に関するアイデアなどを構築しておく事が重要なのだと実感させられました。私自身は、大学病院からの基本給などを元手にビザ取得する事が出来たので幸いでした。

研究室での仕事としては、イメージングコアラボとしての解析作業(新しいステントやデバイスの治験の血管内超音波、光干渉断層法、アンギオの解析)をする事がメインの仕事でそれらのデータをまとめて各種企業へ提出する事が一番の使命です。それらのデータを元に興味がある内容でサブ解析をして学会発表をしたり論文を作成することで自らのキャリアとする事が可能です。我々の研究室で推奨されるアメリカ国内の3大学会は、AHA、ACC、TCTの3つでこれらに演題を提出し、発表すると参加費や旅費が支給されるため、演題登録の締め切り前は徹夜で解析をする事もありました。本多教授や、ピーター教授、IVUSでも有名なポール・ヨック教授(現在Bio-Designに所属)に抄録をチェックしてもらい修正やアドバイスを頂く事でさらにblush-upする事が出来ました。その際に学んだアブストラクトの書き方や研究に対する姿勢は今でも財産として残っています。

その他の研究室での仕事といえば、カテーテル治療や検査の際にイメージングデバイスを使用する際のオンコール当番というものがありました。ご存知のように日本でのイメージング使用率はほぼ100%に近い状態ですが、アメリカではその使用頻度は高くなく、PCI関して言えば、近位部病変や、分岐部病変などの複雑病変で使用する事がメインです。それ以外の比較的単純な病変はアンギオガイドで治療する事が基本です。

我々フェローはこれらのIVUSもしくはOCTが使用される際に呼ばれてその画像を保管管理する事と、治療中にどのような治療ストラテジーが良いか、推奨されるデバイスのサイズなどを術者に伝えることが重要な仕事でした。渡米した直後はこちらから提案した内容もうまく伝わらなかったり、取り入れて貰えない事が多々ありましたが、徐々に呼ばれる回数が多くなってくるとお互い信頼関係が構築されてカンファレンスで意見を求められるようになったり、共同研究の依頼が来たりするようになりました。一度信頼関係を構築する事が出来ると、研究のキックオフミーティングに招聘されたり、解析の一端を担ったりすることで論文の共著者としても登録される様になった頃にはすでに渡米して1年以上を経過した頃でした。

留学期間に関して言えば、自分自身は2年間の留学でしたが、現在思うと2年間はあっと言う間に過ぎ去ってしまい、短かったという印象を持っています。人それぞれの適応能力や、英語力などの違いはありますが、1年目でセットアップし環境になれ、2年目で研究の種をまいて、3年目で収穫して論文化するというスケジュールを理想と考えると、可能であればもう1年滞在したかったという思いはありました。
それぞれ経済的な面や、社会的背景などもあるかと思われますが、可能であれば3年以上留学される方がより得られる収穫は多いのかと思いました。現在、これらの経験を生かして岩手医科大学で日々の臨床、研究、教育に勤しんでいる日々です。

木村 琢己

循環器内科医としてのステップアップを目指して

岩手医大を卒業後千葉県鴨川市にある亀田総合病院で初期研修を行いました。初期研修終了後、同病院にて後期研修医として循環器内科のキャリアをスタートさせました。循環器内科として働き始めた当初は、日々の業務、勉強に追われる毎日でしたが、その中で、循環器の基礎知識、病棟管理、カテーテル技術を修得することに励みました。おかげで多くのことを学び、成長することができました。循環器内科をはじめてから3-4年が経った頃、今後のキャリアアップを考えるようになりました。どんな仕事を、どこで、誰とやっていくかということです。当時の職場ではまだ導入されていませんでしたが、当時全国でTAVIが始まり数年が経過し、興味を持っていました。TAVIだけでなく、新しいデバイス治療が海外で開始され、国内にも導入されており、新しい治療に携わりたいという漠然な思いがありました。新しい治療が導入される国内の病院は限られており、いわゆる「ハイボリュームセンター」で仕事がしたいと考えました。そんな時、とある勉強会で偶然、まだ面識がなかった森野教授と話ができました。その頃、自分にとって、出身地である岩手に戻り、次のステップへと進むことは難しい決断ではありませんでした。

期待通りの環境で最新医療を

6年ぶりに岩手に戻りましたが、戻るといっても岩手医大循環器内科スタッフとは面識がほとんどなかったため、はじめは大きな不安がありました。しかし、働き始めて間もなくその不安は払拭されました。一緒に働く仲間が、優しく受け入れ、最初から働きやすい環境を作ってくれていたからです。入ってみて分かったのは出身も大学も様々で、とてもアットホームな場所が作られていることでした。異なる環境で仕事をしてきた医師が岩手で新たに手を取り合うことは素晴らしいことだと思いました。

岩手医大に入職した時、新しいデバイス治療に携わりたいという思いがありました。その時から現在までに、経カテーテル的大動脈弁留置術 (TAVI)は適応が拡大され、経皮的僧帽弁クリップ術 (Mitra Clip)、左心耳閉鎖術 (Watchman)が始まり、経皮的補助人工心臓 (IMPELLA)も使用が可能になりました。当初期待していた通り、多くの治療に携わりながら仕事ができていると実感しています。循環器医療の進歩は目覚しく、私たちはそれに併走し続けています。まだまだ発展途上ですが、今後多くの仲間と共にこの環境をさらに発展できるように邁進していきたいと考えています。

二宮 亮

医局の理解とサポート体制はどこの医局にも負けません

女子医学生、研修医の皆さん。循環器内科は、全国的にも女性医師の割合が少ない科として有名ですが、当医局は12人も在籍しています。そして出産後も離職することなく、働き続けています。これは、女性医師がそれぞれの環境がありながらも医師という仕事に心から向き合ってきたこと、そして何より、医局全体の理解とサポートによって、女性医師が仕事を継続してきた結果だと思います。女性に循環器内科は無理、と考える必要はありません。当医局はそんなことを感じさせない、サポート体勢が整っています。

結婚をして子供が生まれると、数えきれないほどの問題に出会います。親として、妻として、医師としての役割がありますが、医局のサポートのおかげで、どれも諦めることなく継続させていただいています。そして、仕事を続けているとチャンスが巡って来ます。出産、子育てを理由に、そのチャンスを諦めるのはもったいないと思います。何かいい方法があるはずです。当医局には、困った時に助けてくれる仲間がたくさんいます。
その時にできることを、それぞれが役割を果たしながら仕事を継続することで、患者さんも、職場のメンバーも、家族も、自分もハッピーになることができるはずです。
これは男性も女性も同じだと思います。ぜひ一緒に仕事を続けましょう。キャリア形成が確実に良い仕事をしていくことであれば、当医局は性別関係なく、それを叶えることが可能です。

芳沢 美知子

人生を広げる選択肢 (海外留学)

私は幸運にも2015年から2年半、米国Los Angeles, Cedars-Sinai Medical Centerに行く機会を得た。

医師キャリアの中で多くの人が海外留学をする、もしくは考えていると思われる。なぜ留学するのか、1番の答えは環境を変え新しい何かを得るためと私は考えている。留学をする事で得られることは非常に多くあるが、何をもとめ、何を得るかはその個人によって様々であろう。特に海外へ出る事は、日本では経験できない事をすることと、全く違う価値観を体験する最高の機会であり、その後の人生の大きな糧になると信じている。

私の留学先のCedars-Sinai Medical CenterはLos Angelesのほぼ中央にあり、市中病院であるが基礎研究から最先端の臨床まで幅広く行っている施設であった。循環器分野でいえば古くはスワンガンツカテーテルの開発から急性心筋梗塞のForrester分類を提唱したForrester先生が今でも現役で仕事をしている病院で、最近では心臓移植や構造的心疾患の各種治療を米国で最も多く行っていた。

自分自身は留学前には冠動脈を中心とするカテーテルインターベンションを中心に行なっていたが、構造的心疾患のカテーテル治療を学ぶために海を渡った。様々な国から様々な形で人を受け入れている施設であったが、私の立場は王道ではなく教授のつてで病院に潜り込んだというのが正しいだろう。

まずは初めての街、病院の環境になれる必要があり、日本の社会や病院で当たり前だと思い込んでいた物事が全く違うことの毎日であった。海外の施設では見ず知らずのよそ者を信用したり求めたりする人は誰もおらず、お互いに使えるもの、使える人を利用するような関係がほとんどである。そのため職場に溶け込むことが最初の仕事であり、その方法は「周りに迷惑をかけず邪魔にならないように目立つ」である。医師はもちろん、研修医、看護師、技師、事務員、掃除のおばちゃんまで、みんなに笑顔で挨拶をする、雑談に参加しコミュニケーションをはかる。自分が何をできて何をやらせてもらえるか、自分を信用させ仕事をもらえるように振る舞い、そしてChanceが来たときには逃さず乗る。思い通りにならないことが多いが、Negativeな姿勢を出す人や影で愚痴を言うことはCreativeなものには繋がらず、機会を自ら断ってしまう。多様性のある解釈の中で、明確な理由づけをして説明することで初めて自分の意見を聞いてもらえるようになる。多くの価値観や考え方に触れることで、同じ出来事をうまくPositiveに捉え、そして発信してく必要性を経験した。

海外では結果が全てと言われるが、さらに人間性、人間関係が重要でコネも必要である。中々芽の生えない時を過ごした後に、幸運にも病院の正規の立場を作ってもらった。上司と共に多くの医師、開発者、メーカーなどとディスカッションを行う機会を持つことができ、新規のデバイスの開発や手技のトレーニングなどにも携わることができた。その甲斐あって、日本に帰国したのちにも様々なコミュニケーション、新しいデバイスや情報に触れる機会に恵まれている。

帰国後の最低限の仕事として、日本に、岩手に私の学んだデバイス治療を導入し根付かせること、これは現在進行形であるが確実に実を結ぶものと信じている。
留学自体がうまく当たるか当たらないかは終わってみるまでわからないが、間違いなく新しい何かを得るChanceである。自分自身が目標とする画一的なモデルはないが、Chanceが来た際にやりたいことを行える準備をし、興味を持てたことに飛び付ける勇気を養い、それを最大限に広げる努力をすることがHappyな人生の送り方だと思う。その1つの道として海外留学は有益な選択肢である。
最後にこのような機会を与えてくれた、教授、医局の皆様、Cedars-Sinaiの皆さんに感謝している。

中島 祥文

キャリアモデル・国内留学

今年度で8年目になる田口 裕哉です。2019年4月から岡山県倉敷市にある倉敷中央病院で国内留学をさせていただいております。
私は学生時代、心筋梗塞患者が迅速に治療され独歩退院していく姿を目の当たりにし、冠動脈インターベンションの魅力に惹かれました。
岩手県立大船渡病院で2年間初期研修を行い、3年目は大学病院でCCUや不整脈チームに所属し、心エコーや心臓カテーテル検査、恒久的ペースメーカーなどの技術を学び、4年目以降は岩手県立大船渡病院、大学病院、八戸赤十字病院で臨床経験を積ませていただきました。上司に恵まれ、ありがたいことに待機症例だけではなく、緊急PCIのオペレーターをさせていただく機会も増えていきましたが、なかなかうまくいかない症例を経験し、もっとPCIがうまくなりたい、スキルアップして多くの患者さんを助けたい、という想いが強くなっていきました。そんな中で森野教授に国内留学のチャンスをいただき、現在倉敷中央病院循環器内科で冠動脈インターベンションを中心に勉強させていただいております。

倉敷中央病院は岡山県西部の約77万人規模の医療圏を担い、その他中国・四国地方から紹介患者を受け入れており、全国屈指のhigh volume centerです(2019年のPCI件数は1197例、うち緊急PCI件数は523例)。毎日のようにACS患者が搬送されてくるため、非常に多くの症例を経験することができ、心原性ショックを伴う症例に対する補助循環(ECMO、IMPELLA、IABPなど)を必要とする症例も多く、その管理についても日々勉強させていただいております。
慢性完全閉塞病変(CTO)に対するPCIも積極的に行われ、故・光藤和明先生の教えが引き継がれた経験豊富な先生方の指導を受けながら、国内トップレベルのカテーテル治療を間近で学ぶことができます。忙しい毎日ではありますが、志が高いスタッフに囲まれ、刺激を受けながら非常に充実した毎日を送っています。
このような機会を与えてくださった森野教授はじめ医局の先生方、門田先生はじめ倉敷中央病院のスタッフの皆様方に感謝申し上げます。倉敷での経験を糧に少しでも岩手の医療に貢献できるよう研鑽を積んでいきたいと思います。

田口 裕哉