いわてや盛岡の食、土地・歴史、人についてお話をしてきました。今回は、最近はまっているマイブームの中から、1つご紹介しましょう。外国語を話せるのっていいなあと、誰しも思ったことがあると思いますが、一向に上手くならない英語も、仕事レベルならそれなりに何とかなるので、今さら上達のために頑張って勉強したいとさっぱり思えなくなりました。
人生の中間点を明らかに超え、仕事のための語学では無く、今後の人生を楽しむための語学をもう一つ習っておきたい、という奥底から渇望するような欲求が出てきて、ぼちぼちイタリア語の勉強をしています。そこそこ料理をし、ホームパーティーで振る舞ったりするのですが、イタリア料理っぽいものが自然と多くなるのも、きっと関係していると思います。盛岡には語学学校もないので、NHKのテレビやラジオを教材に、細々と進めています。ラテン語派生の言葉で文法をかっちりやろうとすると非常に難しいのですが、読み方だけは母音で終わり、日本人が発音しやすい。日本で外国語表記にローマ字を普及させたのはとっても理に適っています。
ローマ字にも面白い変遷があるそうで、もともとイエズス会の宗教普及の為に導入した「ポルトガル式」から始まったとされ、鎖国のあいだに「オランダ式」にかわり、明治維新ごろアメリカ人の宣教師ヘボンが、ローマ字、カタカナ、漢字で見出しを列記し、それをABC順に並べた和英辞典を作ったのをきっかけに、「ヘボン式」に変わった様です。ローマ字なのに、母国イタリアが全く関与しないのが不思議なのですが、こんな歴史によるんですね。英語的要素を含むヘボン式に対し、日本語の発音に近い「日本式」ローマ字を提唱した中心人物が、いわての誇る物理学者「田中館愛橘(たなかだて あいきつ)」だったことをご存じですか?(「ふ」をFUとするか、HUとするか、みたいな違いですが、確かに我々は「ふ」で下唇を噛みません・・・)田中館さんは「福岡村」(今の二戸市・広い県土の北端)の出身ですが、自ら世界的物理学者として多くの後進を育てる傍ら、日本の国際化のためにローマ字の普及が不可欠と、確たる信念で活動されたようです。最終的には、終戦後GHQの指導でヘボン式に統一したそうですが、残った様式が何であれ、国際化を推進した第一級人物がこんな片田舎からという、いわて人材「あるある」がここにもあります。パスポートの自分の名前を見たら、こんなエピソードを思い出して下さい。
語学の勉強の合間に名画をイタリア語で見たい、という衝動に駆られます(字幕なしにはさっぱり理解できませんが、トーンや雰囲気を味わうことが大切です)。エンニオ・モリコーネ(どことなく自分の名前に似ているので親近感がある)の映画音楽は、仕事のバックミュージックに最適で、教授室でよくかかっています。とくに、彼の代表作、映画ニューシネマパラダイスの旋律はお気に入りです。ご覧になっている方も多いと思いますが、映画監督として成功した主人公が、シチリアの小さな街の映画館を舞台に、トトと呼ばれた幼少期を回想します。少年時代を見守ってくれた映画館技師の葬儀に参列するために、30年ぶりの帰郷を果たします。きっと、ある程度の年齢を超えた誰もが持つ、それぞれのノスタルジーにググッと刺さる普遍的なテーマなのでしょう。そんな懐かしい景色が、これら美しい音楽とともに静かに流れていきます。片言ではあっても、台詞に込められたイタリア語の意味がわかるようになったおかげで、感動量がとても大きくなったと思います。語学の勉強っていうのは、きっとそれでいいんですよね。主演俳優がフランス人なことは些末で、とにかくイタリア語がとても美しい名画です。
※映画音楽の巨匠モリコーネさんの訃報が報道されました(2020/7/5ご逝去、満91歳)。約60年のキャリアで500作品以上の長編映画の音楽を担当し、グラミー賞やアカデミー賞も受賞されました。謹んでご冥福をお祈りします。