交差点で止まっていて、青信号になっても一向に前の車が発進しない、併走していた車が突然自分の進路に出てくる、こんな時に皆さんはどうしますか?せっかちな自分は前者なら、軽くぷっと、後者では強く長くクラクションで威嚇?してしまうと思います。いわてに来たのは震災の年でそれから9年近く経ちますが、未だに驚くのは、他人にクラクションを鳴らされたことが一度もないことです。自分は直ぐに車線を変えて決して運転マナーが良い方ではありませんし、信号待ちでついついボオッとしがちですが、自分には我慢できないことが、いわてのドライバーには普通にできるんです。きっと命に関わることにでもならない限り、クラクションを鳴らさないのではないかと思います。

想像するに、「自分のことは少しずつ我慢する」「ひとが不快に感じることはしない」「ちょっと焦っても仕方ない」を、いわての人はとっても大切にし、それらが習慣化しているのだと思います。こうした人の良さ、マナーの良さ、言ってしまえば民度の高さについては、私のように外から来た者は口を揃えて日本一だと言います。街に落ちているゴミが極端に少なく、いつも綺麗です。ぽいっと、道路にものを棄てないのでしょう。極寒にさらされたDNAは、助け合わなければ生きていくことすら困難な歴史のなかで、このように醸成されていったのかもしれません。

いわての「ひと」について考察すると、ある時期にスケール外の人材がなぜか纏まって出て来る特徴があります。野球で言えば、大谷選手や佐々木朗希選手。宇宙人規模の人材がこんな田舎でどうして次々に出てくるのでしょうか。彼等のインタビュー時の言葉選びは、およそ高校卒業ころの青年のレベルではないですね。優れた素質を最大限生かすことのできる人間性が伝わってきます。リーダーの輩出という点でも、特筆すべき特徴があり、日本の総理大臣の出身県のダントツ1位は山口であることは歴史的によく理解できますが(松陰先生の血脈はさすがです)、2位は東京と何といわてが競いあっていて、東條英機さんをどちらに入れるか(盛岡藩の血筋で東京育ち)で決まるのです。最後まで新政府軍と戦ったので、新政府側の主要メンバーには簡単には入れないはずです。そんな時代に、五千円札の新渡戸さんや、後藤新平さん(正確には伊達藩ですが・・)、その後の総理も脈々と続くのは、数あるいわて「あるある」伝説上、最大のミステリーです。自分が身を投じ、体感し分析できたことは、①許容性に富む人が育つ(調整力や包容性に優れた人が育ち安い)、②周囲の協調性が高いので、王道のリーダーシップの修練を積みやすい土壌であることは言えると思います。スタンドプレイが嫌いで、控えめな県民性も、若い頃に頭角を現す際に、社会からの攻撃を自然と防げる方向に作用すると考察できます。

病院を引っ越し、自動車に乗る機会が増えましたが、相も変わらず自分はクラクションを鳴らしてしまいます。とっさの判断ですから、10年弱住んだぐらいでは、我が浅ましいDNAまで変わらないのだと思います。うーん。